モノがない日常を知る

現代の写真撮影は、スマートフォンや携帯を使い、簡単にできるようになりました。フィルムの必要もなく、撮り直しが何度でも行え、不要な写真は即座に削除できる、といった進化は目覚ましいものでした。そんな「カメラ」への概念がすっかり変わった今だからこそ、写真を撮る意味を、少し考えてみませんか?今回は、『写真という癒し』がテーマです。
写真を撮る意味
人はなぜ写真を撮るのでしょうか?人は楽しい瞬間をいつまでも心にと留めたいもの…。「写真を撮りたい!」という感覚は、幼い頃からの習慣もあるでしょう。子供のころから、イベントや節目に写真を撮り、何年か経って、その思い出を振り返ることが出来るのは、写真という「形」があってこそ…だと言えます。
逆に、もしこの世に写真が存在していなかったら、どうなっていたでしょうか…。免許証や身分証明書などに写真が無ければ、簡単に「なりすまし」も可能だったかもしれません。同様に、学校の卒業アルバムが存在しなければ、記憶の中の同級生は、自分の記憶の中で変形し続け、薄れていく一方だったかもしれません。今、当たり前のように存在している写真は、私たちにとって、もはや、かけがえのない存在に進化したのは、人間の脳では記憶しきれない限界をカバーする、「隠れた目的」があったから、なのかもしれません。
写真の魅力
写真を特別な趣味としている人もいます。電車を撮ることを専門にしている人は、「撮り鉄」などと表現されますし、「写真家」のように写真を撮って形にする職業の人まで存在します。
「奇跡の1枚」の瞬間にかけるプロの努力は、一般の人には決して真似のできない技術と苦労の連続なのでしょう。だからこそ、人の心を揺さぶる「力」があるのでしょう。
写真はその瞬間を閉じ込めることができるので、感動をシェアしやすく、何よりも、撮影した本人は、達成感を強く感じやすいものです。たくさんの素晴らしい瞬間をできるだけ多く残したいと考えるのは、プロでなくてもわかる気もしますよね?
今は、スマートフォンで簡単な手順で、SNS上に写真をアップでき、フォロアーから「いいね」や「ラブ」がたくさんつきますよね。たくさんの人に評価を得られたという喜びや優越感は、写真がもたらす、もうひとつの一面だと言えますね。
写真の可能性
「写真療法」という言葉を聞いたことはありますか?それは「写真セラピー」や「フォトセラピー」などと呼ばれることもあり、一般の人以外にも、医療、福祉、教育などの分野など、幅広く注目されるセラピーです。「セラピー」というからには、心を育む、自己治癒力の活性、社会との交流などを目的としている何らかの「癒し」を目的としています。
写真の可能性は、自己達成感、感動を共有する、加工する可能性など、挙げればキリがなく、撮影時には、よい影響が脳に伝わるとされます。写真は家の中でも撮れますが、被写体を外に求めて「歩く」のも身体によく、年輩の方が趣味で写真を撮るのは、老化防止にもひと役買ってくれているんですよ。
いかがでしょうか?今は日常生活のなかで、欠かせない存在の「写真」がもたらす癒しについて考えてみました。スマートフォンだけでなく、実際のカメラを手にしてみると、また違った「喜びと快感」が心に癒しの光を与えてくれるかもしれませんね。