スマートフォンのない世界へ

日本はネット社会――。ここ数十年で高速インターネットが当たり前のように普及し、ガラケーが当たり前だった時代も嘘のよう。通勤電車の窮屈な空間で、ゲームアプリをいそいそと操作する、動画を楽しむといった光景が、当たり前になりました。当然インターネットは便利ですし、快適過ぎるほどですが、少し立ち止まって、自分にとってのスマートフォンの在り方について考えてみませんか?
スマートフォンという存在
ガラケーが誕生して以来、次々に新しい機種を発売してきた携帯各社ですが、端末がスマートフォンに変わっても、その状態は保たれ続けてきました。様々なサービスプランで、ある程度使用期間を経過すると、そろそろ新しい機種にしようか?と思わせる戦略はさすがと言わざるを得ません。
スマートフォンがあれば、GPS機能を使い、自分が行きたい目的地まで案内してくれますし、乗り換えた列車が何番線に着き、乗り継いだ後にどの番線から発車するかまで、細かく調べられます。このように、スマートフォンさえあれば、目的地までを確実に案内してくれるだけでなく、交通遅延などの情報もリアルタイムで知ることができます。考える前にまず、スマートフォンが何でも教えてくれるため、疑問に感じたら、すぐに手が伸びてしまうといった、分身のような存在が「スマートフォン」なのでしょう。
まるで中毒のように
現代人は、何もない無人島にひとり取り残されても、スマートフォンが使える環境さえあれば、退屈せずに過ごすことができるでしょう。音楽やゲーム、ラジオやインターネット検索など、出来ないことを探す方が難しい気もします。主婦はアプリを使い料理のレシピをスマートフォンで検索し、上手に出来れば、他の人にシェアするなどなど――。
Facebookは「今日はこの人の誕生日です」「1日遅れですが、メッセージを送ろう」などと、世話を焼き、まるで人間がデジタルにコントロールされているかのよう…。用事もないに、スマートフォンを触ってしまう、寝る前に見ないと気が済まない人もいます。そうなってくると、もはや「中毒」と変わらない状態。会社ではパソコン、移動中はスマートフォン。それでは、いったい何時、液晶の光を浴びない時間があるのやら……。
デジタルのない世界へ
スマートフォンは現代社会において、便利さの究極形でしょう。それを止めようとするもの、ナンセンスな話です。しかしながら、ネット依存に陥りやすい環境の中で、どうしたら、デジタルと離れる時間を作れるかは、自分の意思次第。
1日中、インターネットの世界にいると、どうしても他のことがおろそかになります。やるべきことがあるのに、後回しになる傾向も高くなります。そんな時は、あえて、強い気持ちをもって「スマホのない世界」を作ることをオススメします。スマートフォンの液晶を見続けるとブルーライトにより、自律神経が乱れてしまいます。お酒を飲む人に、休肝日があるように、スマートフォンを家で一切使わない「ノー・スマホデー」を作ることで、少しずつ、自分の頭で考える訓練にもなるはずですよ。
いかがでしたでしょうか?デジタル化社会は、この上ない快適さがある反面、人に悪影響も少なからず与えているものです。時には、自分を癒すための「スマートフォンのない世界へ」トリップしてみませんか?